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原田翔太プロフィール

原田翔太プロフィール

suit_harada原田翔太(はらだ・しょうた)

1984年3月1日生まれ(東京都)

ビジネステロリスト(業界革命を起こす専門家)
その他に、マーケティングコンサルタント、プロデュサー、マルチメディアクリエイター、コンテンツマーケター、ミュージシャン、作家などとしても活動

株式会社ユナイテッドリンクスジャパン 代表取締役
イデアパブリッシング株式会社 取締役副社長
そのほか、カフェ運営・コーヒー豆通販会社の経営にも携わる

上智大学文学部、早稲田大学第二文学部中退、現在デジタルハリウッド大学大学院修士課程在学中

・19歳で起業。有名IT企業(ウィルゲート)の創業経営者として経営参画。現在に至る。
・ウェブに強いマーケティングコンサルタントとして看板を掲げて以来、これまで1000を超えるECサイトやウェブサービス、ホームページに対してアドバイスを行ってきた。
・顧問経験も豊富で、20社以上の企業に顧問コンサルタントとして関わってきた。
・5万部を超える人気メールマガジンを執筆。著書は23歳のときに書いた「ありえないマーケティング」で作家デビュー。現在までに6冊を執筆。最新作は「不純な動機ではじめよう」(徳間書店)。(そのほかの書籍はこちらのページから)
・28歳でビクターエンターテイメントよりCDアルバム「MONOCLOGUE」(特設キャンペーンページはこちら)をリリースしメジャーデビュー。
・2016年より電子書籍も執筆開始。版元やプロデューサーを介さず制作からプロモートまで自身で完結するセルフプロデュース形式でのリリースを基本としている。代表作に「ノーガードフルチン戦略」。
・コピーライター、ウェブデザイナー、フォトグラファー、ビデオグラファー、ミュージシャンなどあらゆる領域の表現技術を操るマルチメディアクリエイターとしての顔も持つ。

何者でもあり何者でもない

お前はいったい何者だ!?とよく聞かれます。

一応、肩書きは「ビジネステロリスト」と名乗っていますが、どうにも一言でいえる、うまい言葉がないので、そんな感じで自称しています。

革命家、コンサルタント、マーケター、IT起業家、作家、講演家、ウェブクリエイター、ミュージ シャン、料理研究家・・・僕の「主な職業」をあえて言葉で定義するとこんな感じです。

・・・よく「分けがわらかない」と言われます。

そこで、分かりやすくやっている事を紹介しようと思ってこのページを作りました。

ノマドだとか、フリーエージェントだとか、そういう言葉ばかりが先行しがちですが、こういう「定義しにくい生き方」をしている人がいるんだ!そういうのでもアリなんだ!と思ってもらえたらいいなって。自分の可能性のふたを外して、自由自在に自分の人生をデザインする人が増えてくれたらいいなあ、と思って僕は自分の活動をしています。

「ウェブでこういう人見た!」っていうのが、自分の人生の転機点にだってなるんです。僕も、10代のころ、そういう世の中の定型にはまらない型破りな先輩たちの生き様をネットで知って、自分の生き方の舵を切りました。ぜひ一人のモデルケースとしてあなたの生き方の参考に してくれたら嬉しいです。

はらしょーの仕事を丸裸!

ただの兄ちゃん

harada_1格好つけた自己紹介が面倒くさいので、普段はもう「フリーターやってます。」と自己紹介しています。実際普通に街を歩いて、普通に電車にのっていたり。 (車には興味がないので、もっぱらママチャリ!)

趣味は多趣味です☆ おいしいご飯が大好きなのと、天気がよくて明るいのが 大好き!あとはお寺巡りとか、好きですねー。京都に座禅に組みに行ったり、 登山したり、雪山をものすごい勢いで滑走したり、フルマラソンに出たり、実 は意外にアクティブなことも大好きです!

という感じで、普段はほんとにただのお兄ちゃんです。

ウェブクリエイターとして

harada_2いまでこそ、さすがに自分自身が手を動かして作ることは少なくなりましたが、
そも、ウェブ上で活動を始めたのは、クリエイターとしてサイトを作り始めたのがきっかけでした。

ベンチャー修行時代から、数々の有名サイトに関わってきました。大手ポータ ルサイトや、著名人の公式サイトの管理人をやっていたこともありますし、自 身でも当時日本で一番有名なカフェ情報サイトを立ち上げたり、自分史マッピ ングサイトや、クリエイター向けの作品投稿サイトなどのウェブサービスを作っ たりしてきました。その他にも、数えきれないくらいのアフィリエイトサイト を作って運営してそれらを収益化してきたのが、のちにこの仕事(ビジネステ ロリスト)につながる一番最初の原点でした。

サイトを作る上で、写真や動画などにも興味を持って独学で学んできました。

今は制作系の仕事はほとんどやらなくなっちゃったので、もっぱら自分の気が向いたときにやる だけですが(過去には、結構有名な会社のサイトなんかも手がけたりもしたんですよ~)、自分 の原点ですし、「ビジネステロリスト」になって分野横断的な活動をしていく上でも、一番の基礎になっている土台の「武器」的なスキルがクリエイターとしてのスキルだったなぁと感じています。

マーケティングコンサルタントとして

harada_319歳のとき、得意だった語学を武器に、実家の一室にて英語翻訳者として起業。その後趣味ではじめたウェブサービス運営をスタート。大学四年生のとき(22歳)に売上1億円を突破。当時まだ黎明期だった個人ウェブサイト運営者たちの中で「ネット界の風雲児」と称される。

そのウェブマーケティングを元にコンサルティング業を開始。現在は、東京都・ 吉祥寺で経営コンサルティング会社ユナイテッドリンクスジャパンを経営。

! 精密な数字の裏に潜む、人間の深層心理を鮮やかに捉え追及する「感性と理論 の融合」をモットーに、町の小さな商店から誰もが知る有名大企業まで、ネットを使って、少ないリスクで、大きなリターンを生み出すためのネット戦略を伝授してきた。

あらゆるビジネスの中に眠る「コア」を掘り起こし、立体的に魅力を言語化・視覚化する「360°マーケティング」を多業種に向けて指導。業界記録を塗り替えるクライアントを続々と輩出。

1年持てば良いといわれる変化の速いウェブビジネス界において、普遍性の高いパワフルなメソッ ドが幅広い指示を集め、20代のコンサルタントとして日本史上で最も活躍した若手NO1コン サルタントとの呼び名が高い。

マーケティングメソッド

若手NO1の根拠

過去に経営顧問・アドバイスをおこなった企業には、サンマーク出版、ソフトオンデマンド、光 通信、フォリフォリジャパン、DHCなどの有名企業のほか、メール配信ASP、不動産業、会計業、 エステサロン、美容化粧品メーカー、コンサルティング会社、システム開発会社、パン屋さん、学 習塾、格安航空券販売、転職支援会社、人材派遣会社、広告代理店、整体・リラクゼーション、 スピリチュアル系事業者、宝石販売、など多岐にわたる。*累計で、過去に経営顧問契約23社、 スポットコンサルティング約200社、グループコンサルティング350社、スカイプコンサルティ ング200社、通信講座で学んだ方4500社(名)
その手腕を買われ、2007年より経営参画・資本出資した株式会社ウィルゲートでは、常務取 締役兼最高マーケティング責任者(CMO)として、SEO業界最後発参入だった同社を、「日本の ベストベンチャー100」選出、業界成長率NO.1 企業へ成長させるなど、短期間のうちに業績アッ プに導いた。(2011 年7 月同社取締役退任)

ホワイトボード原田

コンテンツマーケターとして

harada_4電子書籍の超黎明期から情報ビジネス業界に参入。そこでの実績から、業界NO 1の電子書籍ポータル「インフォトップ」の立ち上げ期からかかわり、モバイル 版プロデューサーとして同社の知名度獲得・市場創出に貢献。その後、国内の情 報販売における啓蒙機関として「日本インターネットアントレプレナー協会」(現 一般社団法人日本情報販売倫理機構)の立ち上げに副理事長として携わるなど、 電子コンテンツ業界を草創期から支えてきた。

その後、本好き、コンテンツ好きが高じて、出版界に深入りするように。現役大 学生でありながら国内有名出版社(サンマーク出版)から依頼を受けマーケティ ング顧問として就任。数々のベストセラーを生み出したサンマーク出版の伝家の 宝刀・電車広告フォーマット策定や、同社の新規事業創出など、ダイレクトマー ケティングのアドバイスを行った。

2012 年6 月、元フォレスト出版編集長・長倉顕太らと共にイデアパブリッシング株式会社を設 立。同社副社長として業界に「小っちゃな革命」を起こすことを目標に「全く新しい、革命の出 版社」作りに着手。主宰した出版塾からは、小玉歩「クビでも年収1億円」、池田潤「勉強の結 果は『机に向かう前』に決まる」など10万部越えのベストセラー作家を輩出。

写真「長倉出版塾」

ミュージシャンとして

harada_52013年6月に、ビクターエンターテイメントよりメジャーデビュー。処女作「MONOCLOGUE」はきゃりーぱみゅぱみゅ、サザンオールスターズなどを抜きAmazon音楽ランキング1位を獲得。オリコンチャートにもランクイ ンし、音楽界隈のプロたちに「何者だこいつは!?」と不思議がられる。

10年のブランクがある新人にも関わらず単独1,000名のワンマンライブを成功させる。自ら制作し、自ら演奏し、自らプロデュースし、自らプロモー トするのがモットー。完全自給自足経済圏を持つ全く新しいアーティストス タイルで活動する唯一無二のシンガーソングライターとして活動。

自ら歌唱、ギター、ベース、ドラム、キーボード、MIDIなど複数の楽器を操 り、全てをオールインワンでこなすマルチプレイヤー。一番好きな楽器はドラム。苦手なのはギター(一応ボーカルギターなので、ステージではギターを持つ)。

全楽器を操るさまは、PV「創造的破壊 ~勇気と信念のうた~」をご覧下さい。

使用モデルは、はらしょーシグネチャーカスタム01(Addictone 初のシグネチャーモデル)
1年半前から三味線(津軽・小山流)も習い始めた。

写真 「THE LIVE WORK CONVENTION」@DUO Music Exchangeの模様とマイ三味線。

ナポリ料理研究家として

harada_6ナポリに魅せられた男として、日本で唯一の「ナポリ料理研究家」としても活動。ナポリにある主要バールを全て踏破した経験から、ナポリのエスプレッソ文化につ いては国内有数の見識を持つ。

なぜナポリ料理か?

それは、食材の味を極限まで引き出す「塩」と「オーリブオイル」のみで構成され る極めてシンプルな味付けにある。そして、家庭にその味の根拠がある。

現代が失った最も素朴で、最も家庭的で、最もおいしい料理がナポリにはある。料理人としてではなくナポリの食文化を伝える伝道師として活動中。そのうち料理本を出したいなーと思っているので、そういう企画を探している編集者の方、いたらお声かけください。

豆

ナポリに足を運んでエスプレッソを100杯飲んで得たものはやはり大きかった。行けばわかる、行かねばわからん本物の世界。

ちっちゃな革命家として

harada_7創造的破壊プロジェクトを主宰。2年間で5万人がフォローしたネットマーケティ ング上では最大級のムーブメントを起こす。「Syncronicity」は、累計4500 人が受講。国内最大のマーケティング通信型勉強会となった。

他にも現在は、音楽教育業界に革命を起こす「サウンドカレッジ」の運営、英語 学習業界に革命を起こす「絶対語感プロジェクト」の運営など各業界のトッププロをプロデュースする教育事業や、カフェ業界に革命を起こすプロジェクト=東京カフェスタイルリバイバルなど、多領域にまたがる事業を展開。

自らが興味を持つ様々な業界に、各業界の同志(トッププロたち)と共に「ちっちゃな革命」を起こすために自らも奔走している。キーワードは一つ。「小ちゃ な革命」。これを通じて世の中に、新しいムーブメントを起こす人々に寄り添い、共に世の中を少しずつ変革していくこと!

創造的破壊クラブ

 

略歴

略歴

このように公式プロフィールを書くと、
ピカピカで、キラキラのように思うかもしれません。

しかし、実態は違います。

かなり等身大で、ゼロから・・・
いや、マイナスからスタートしてやっ てきました。

簡単ではありますが、
ものすごくおおざっぱにどういう風に起業して
どういうふう にやってきたかを書きます。

金髪ロック兄ちゃん絶望の日々

当時のバンド仲間とハラショー

早稲田大学入学後、ロックバンド活動に明け暮れていた。18歳の終わり頃、当時活動中だったバンドに近づいてきた詐欺的自称プロデューサーに騙され、金銭問題に巻き込まれ、借金を背負う。(要するに「俺がデビューさせてやるよ」みたいな詐欺ぽい偽プロデューサーにだまされた。)

それと同時に方向性の違いによりバンドも解散。

失意の中、もがけばもがくほど空回りし続け、ついには躁うつ病的な絶望状態になる。お金はない。この頃は、服は資源ゴミの日に拾ったものを着て、ジャンプも近所から拾って読んでいた。タンスや椅子など、使えるものは全てゴミ捨て場から拾っていた。

それでも借金を返すため、バイトをいくつも掛け持ち、とにかくお金を返すためもがき続けた。 このときにやったバイトはホテル、コンサート会場の設営・警備、訪問販売、コーヒー屋など。 原田翔太史上、人生ど底辺期を送る。完全に自信喪失状態へ。この絶望から抜け出すため、ついにギターを置き、まずは「生きる」ために働くことを決意。

起業へ

時代は、ITベンチャーバブル。おりしもほりえもんがスーパースター的にもてはやされた時期であ る。そのときのはらしょーには、IT業界のベンチャー経営者と、小学校のときに衝撃を受けたロックヒーローが重なって見えた。「そうか、ビジネスってのも表現手段なんだな。すごくロックな人たちがいる。」はらしょーは、音楽で果たせなかったことを、起業を通じて世に問おうと決意。 このときから起業の道へ入ることになる。

*裏話:実は不良みたいな見た目だったが、大学在学中に先輩たちとNPO的な取り組みをしていた。そのときにやっていたのが、日本初の政党マニュフェスト比較サイト。各民放(代表的なと ころでは「NEWS 23」や「ニュースステーション」など)、各新聞(読売、朝日、産経、日経な ど代表紙ほぼ全て)に取り上げられ、「TOKYO FM」ではその年の「スーパー大学生」として年 末特番などにも出演した。そのときの原体験があって、「自分が作り出したフレームで、世のはちょっとだけ動かせるのかも?」という小さな自信になっていた。思うと、このときこの活動を一緒にしようと声をかけてくれた先輩には大感謝!

ゲリラで戦う

とはいえ、当初はただの貧乏学生。コネも、経験も、実績も、お金もなにもない。そこで、唯一得意だった英語を武器にすればいいと思い、翻訳者として創業。積極的に飛び込み営業をし、都内の出版社を中心に仕事をもらう。しかし、若い&見た目もチンピラ風ということもあり相当叩かれて使われる。これでは拉致が開かない。

そんなある日、ウェブの世界との出逢いがあった。いとこのおばちゃんの家に「ホームページビルダー」というソフトがあることを知り、借りに押し掛ける。自分のパソコンにインストール。それ以後、のめりこむようにホームページ作りやプログラミングなどを独学で学びはじめる。

「東京カフェスタイル」メンバーの写真

「IT系が面白そう!やるならちゃんとしたやり方を学ばないと!」と思う。もちろんお金はないので、お金をもらいながら修行ができる手段を探した。「そうだ!働きながらやればいいんだ!」 とひらめき、IT業界に潜り込む。

半年GMOで営業職を経験(500名中トップ!)し、その実績を元にモバイルベンチャーでディレクター職として勤務。ITベンチャー業界に潜り込み経験を積む。どちらも半年経験して、なんと なく色々できるようになったので、さくっと辞める。笑

平行してプライベートでは、ウェブサイトの制作を進めていた。当時日本最大規模のカフェ情報メ ディア「東京カフェスタイル」を立ち上げ、当時国内でも最も充実したカフェ情報サイトに成長。 広告代理店から買収オファーをもらう。

その成功経験を活かし、モバイルサイトの運営を開始。いわゆる「アフィリエイト」を軸にしたウェ ブサイト運営だったが、これが時代の波に乗り、学生ながらかなりの収益が上がるように。そのサイト運営ノウハウを、ウェブサイト運営者たちに教えはじめた。「ウェブコンサルタント・原 田翔太」がここに誕生!

コーヒー

絶望再び

原田ホワイトボード

ウェブコンサルタントとして人気になった。自身のサイト運営ノウハウをまとめたPDFをウェブ 上で販売してみたところ大ヒット。それを皮切りに、「ノウハウを教える」ということに目覚め る。この頃、専門家ポータル・『All about』の公式ガイドに就任。過去に大学生でオールアバウトのガイドになった人間はいないので史上最年少記録を樹立。笑 「TSUTAYA」からもビジネス カレッジという企画が立ち上がり、DVDを2枚同時リリース。ヒットタイトルになる。

かくして色々収入源は増え、一気に年商1億を超えたのがこの頃。 それがさらに話題になり、これをかわきりに、テレビ、ラジオ、雑誌などの各種メディアへの進出 を果たす。ビジネスという形ではあったが、かつて追いかけていた「自分の言葉を届けることで、 誰かの光になれたらいいな」という思いが徐々に形になっていく。この頃は、どの起業家の会合 に出席しても、「最年少」ということで本当に若かったため色々いじられたり、かわいがられた り、バカにされたりした。いろんな意味でもまれて、本当に価値的なことをしなきゃいけないな と思った。

また、この頃、全てが上手く行き過ぎて予定調和な部分が多くあった。 「お金は儲かったけど、なんか楽しくないなあ~」と感じ始めていたのだった。

家は狭くて扇風機もなくて不快極まりなかった実家を飛び出し、都内のデザイナーズマンションに。 大学生には不釣り合いの超高級家具や機材に囲まれて、一人で年収1億円生活を謳歌していたが、 実は燃え尽き症候群に。躁鬱病になり、落ち込むときは一週間どこにも外出せず、家の中でひたすらDVDを見たり、本を読んだり、ゲームをしたり、鬱々とした日々を送っていた。

躁鬱病

起業前に憧れた〝ロックしてたあの人”たちみたいな、大きな挑戦をしなきゃ意味がない。 バンドを辞めたときの決意もこれじゃ示せないや。」小銭を稼いで満足しかけている自分が本当 に嫌だった。

ITベンチャー

そんな折、22歳の初夏、後輩起業家だった小島梨揮・吉岡諒(現ウィルゲート社長&専務)から、 新しく立ち上げるベンチャー企業に、役員として経営参画してほしいと打診を受ける。自分自身 も自分の会社の経営者であり、雇っているスタッフもいたため悩むが、大志に協力したいという 気持ち、自分自身の限界にチャレンジしたい気持ちなどがあり、オファーを承諾。

! 自らも貯金の大半をはたき出資をし、検索エンジンマーケティングベンチャー「株式会社ウィルゲー ト」の役員に就任。起業前に憧れた藤田晋、堀江貴文などの「渋谷ビットバレー」を追いかける 形で、2000年代後半創業組のITベンチャーとして成長を続けた。現在同社は国内の検索エンジ ンマーケティング会社としては首位クラスの会社に成長した。(はらしょーはこの会社は2011年 に役員退任。)

本の出版披露パーティーにて

23歳のときに初出版が決定。インデックスコミュニケーションズ社より『ありえないマーケティ ング』という本を出版。そのとき「本も、自己表現だ。そうか、ビジネスでも、本を書く作家でも、みんな『スタンス』でできている!だから、自分のスタンスがロックならば、ロックであれる。 そうか、本の世界も同じなんだな」と感じる。1年で5冊の本を書きあげる。音楽で果たせなかっ た「多くの人に、勇気や信念の光を届ける」ということを本を通じて実現できたような気持ちに なった。

ウィルゲート退社後、自らの会社へ戻り、コンサルタントとしての活動を再開。破竹の勢いで国内 有名企業を始め、多くの会社のマーケティングを指導。オンライン上でも、「創造的破壊プロジェ クト」を開始し、2年間で5万人の人たちを巻き込んだ。日本最大の通信制マーケティング勉強会「Syncronicity」は受講者数4500名を突破。

4500名を突破

本

ボーダレス活動へ

その後、なぜかサンマーク出版からマーケティング顧問の依頼を頂いたり、他社出版社からも電子書籍の展開や書籍のダイレクトマーケティング展開についてアドバイスを求められるなど、出版業界に深く携わることに。

あるとき、ずっと憧れ追いかけていた出版業界切ってのスーパープロデューサー・長倉顕太(ビジ ネス書分野では日本で最も多くのベストセラー書を生み出した男)と出会い意気投合。盟友であっ た和佐大輔を口説き、2012年自らの出版社である「イデアパブリッシング株式会社」を設立。「無 名・新人・本物主義」を掲げ、ゲリラ型のニュータイプリーダーたちの声を世の中に届けるための 出版プロデュースを行うほか、革命家たちのための超党派学び場「大人の大学」などを運営中。

出版業界

またごう

海

ビジネステロリスト

自らを無記号化し、「何者でもあり、何者でもない」というノーガードフルチンスタイ ルをとり始める。

これは、ある種ふっきれた証拠でもある。牙を失いかけている自分を鼓舞する意味も込めて、は らしょーは自らの肩書きを変えた。

2013年にはビクターエンターテイメントから前例のないメジャーデビュー。1stアルバム 「MONOCLOGUE」をリリース。オリコンチャートインやAmazon音楽チャート1位を獲得。 デビューライブも渋谷duo Music Exchageにて1000名ワンマンを成功させた。

2014年からは「ナポリ料理研究家」としても活動を開始。イタリアきっての美食の街・ナポリの 食文化の象徴の一つでもある「エスプレッソ」に魅せられ、現在、都内にナポリ風エスプレッソ バールの店舗を開業準備中。

ほかには、自身の360°マーケティングを伝授する経営勉強会「小ちゃな革命の会」や、はら しょー的ボーダレス&ノーガードフルチンスタイルで生きるための秘訣を教える「ライブワークス クール」を主宰。

オンライン音楽教室「サウンドカレッジ.jp」や、言語学者による英語学習教室の運営プロデュー スなども手がけ、自らも革命家として、「小ちゃな革命」を起こすために日々全国の起業家、経営者たちと共に奔走中。

そして、いま、ここ

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